駅構内の人々

色々なことから逃げ出すようにしてフリーランスになったおっさん。

社会不適合者のノータリン。

それが私。

シフトに縛られない生活を始めて1ヶ月くらい。

率直に言って、この生活は実に快適と言える。

だって、寝たいときに寝て、起きたいときに起きる。

良く寝る

通勤ラッシュに巻き込まれることもない。

面白いイベントがあったら、予定を気にせずすぐさま駆けつけられる。

控えめに言って最高だよね。

ただし1つだけ問題があって

 

それは

経済的不自由

お金があんまり稼げない

という事。

しかしこれは想定内の事態。

 

スラムダンクの仙道風に言うと

慌てるような時間じゃない

「まだあわてるような時間(事態)じゃない」

と言ったところ。

 

そう...

 

私は慌てない。

 

慌てる必要がないのだ。

実は私、フリーランスという肩書を名乗っているが、稼げなかったときの保険として2つの会社(事業所)に籍を置いている。

とはいえ1ヶ月以上それらの会社で仕事をしないことも多く、もはや空気みたいな存在。

会社で欠員が出たときや、依頼が多くて捌ききれないときに登場するピンチヒッター。

それが私。

こうしておけば、もし、ライターとしての仕事がゼロになっても慌てることはない。

何ともお気楽な立場。

そしてそんな私のもとに、1通のLINEが来た。

内容は「利用者様宅での排泄・入浴介助の業務について」。

私が在籍している介護事業所の上司からだった。

「どうしても人手が足りないから頼めませんか?」

明らかに猫の手も借りたいような様子。

しかし私は私でライティング業務や学業、etcで手一杯の状態。

 

「断ろうかな…」

 

そんな私の心情を先取りしていたかのように

「利用者様がおつまみさんに会いたがっていますよ」

という文面。

 

こんな事言われたら…

 

人間というものは頼りにされたり好意を持たれることに対して裏切れないもの。

私はもやもやとした気持ちを抱えながらもOKをしてしまった。

その利用者さんのお宅に伺うのは朝。

都心の名物である満員電車、通勤ラッシュを"堪能"しなくてはならない。

 

「まぁ、たまには...ね。」

 

とは言うものの、心がどんどんただれていくのをぼうっと知覚する自分。

フリーランスとしての生活に慣れてしまった自分が通勤ラッシュの渦中に巻き込まれたらどうなる?

よく分からない。

ただ分かっているのは、あまり良い気分じゃないということ。

利用者さんや訪問介護の仕事自体は嫌いじゃないのになぁ…

 

そして当日。

憂鬱な目覚まし

薄暗い部屋で目覚まし時計(アラーム)がけたたましく鳴り響く。

1ヶ月ぶりの感覚。

「睡眠を邪魔されるというのはこんなにも気分の悪いものだったっけ…」

ネガティブ感情からスタートする1日の何と辛いことか…

時間を気にしながらの弁当作り。

時間を気にしながらの食事。

時間を気にしながらのシャワー。

何もかもが重たい…

憂鬱な雨

外はあいにくの雨。

自分の心境にピッタリだな、と思った。

 

JR山手線の某駅ホーム。

電車に吸い込まれる人々。

電車に駆け込む

あまりにギュウギュウで乗る事ができなかった。

 

一本早い電車に乗る為に家を出たのに...

 

これで次の電車に乗れなかったら…

 

遅刻するかも。

 

そう思うだけで”何か”に追い込まれた気分になる。

不気味な何か

「常識」「他者評価」

こいつらが鎌首をもたげてくる。

「遅刻をしてはならない」

「その事で他人に迷惑をかけてはならない」

「会社の看板に傷をつけてはならない」

道徳という名の圧倒的暴力。

それが「常識」という仮面を被る。

しかし「常識」とはなんだろう?

ここ1ヶ月間、昨日までの私の「常識」とは明らかに違う。

ただ一つはっきりしていることがある。

それは

常識の反対は非常識ではなく、他の常識のことを指す」

ということ。

そもそも電車が1分の狂いもなくホームにやってくるのを「常識」と捉えていることは、かなりヤバイのではないか。

以前、車掌が体調を崩しダイヤが乱れたということでSNSが賑わった。

「何体調崩してんだよ」

「死んでもいいから運転しろよ」

このような文言が並んだ。

悲しいけれど、これは「常識」が生んだ現象なのだ。

「お前が頑張れば丸く収まる」

という圧力は、人間が生物であるという前提を簡単に吹き飛ばす

駅構内の人々

そして私は電車の乗り継ぎに遅れないために、駅構内にいる人々を掻き分けて進む。

まるで他人をただの障害物として扱うかのよう。

人間を生物としてとらえていないからこそ成り立つ「常識」がここにはある。

自分の中にも確かにあるこの「常識」に私は戦慄した。

利用者さんの家に着く前に私はすっかり消耗してしまっていた。

ここ1ヶ月間の「常識」と、ついさっきまでの「常識」の隔たりはあまりにも大きかったせいだ。

ノンスモーカーが重たい煙草の煙を一気に吸い込んでしまったかの如く、私はついさっきまでの「常識」にむせ返っている。

そういえば、ある人が言っていたな。

「常識とは服のようなもの。脱ぐことも着替えることもできる」

そうか…

どうやら私にはこの服は似合わないらしい。

明日からまた別の服を着ることにしよう。

うん…

絶対そうしよう。

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